ロンボク島マタラム市街をジャランジャラン(散歩)【2010.5.30】

2010.5.24~6.2 インドネシア旅行記(バックパック)

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【5.30】ロンボク島マタラム市街をジャランジャラン(散歩)

今日はマタラム市街を観光することにしました。スンギギからの交通手段はベモ(小さな乗合バス)やチドモ、バイクやタクシーがあります。どれに乗るかは出合うタイミングみたいなものがありますが、スンギギの観光案内所付近には大抵、水色の公共タクシーが客待ちをしています。ケチる金額でもありませんのでタクシーを利用しました。距離は約20kmで所要時間は30分、料金はRp.56,000-でした。

しばらく海岸沿いの道路を走ります。

陸側の景色はずっとこんな感じですね。

牛です。(たぶん)

運転手さんがマタラムのどこで降りるのか、と聞いてきます。人出が多く活気のある場所で降ろしてくれ、と言うと「マタラムモール」に連れてってくれました。ロンボク島最大のショッピングモールです。

KFCで昼食をとりました。さすが世界チェーン店ですね。雰囲気はどこもいっしょ、若い子が多いのもいっしょです。

チキン2ピースのセットです。スープとおにぎりが付いてくるのね。

こちらにも親子連れが。私がパシャパシャと写真を撮っていたので、子供が「何やってるのん?」と、こちらを覗っていました。

腹ごしらえも完了、探索開始です。

オートバイショップではなく、モールの駐輪場です。とか言って、自転車を見かけるわけでもありません。彼らの行動範囲が1~2kmレベルではないのが見てとれます。

マタラムモールの裏地区です。車やバイクの整備工場や何かの零細工場が並んでいます。

地図を見るとこの先、特に何かありそうでもないなあ。でもなんとなく人の気配を感じます。この道を進んでみます。

生活の匂いプンプンですね。まさに住宅地です。

庭の外壁に籠が並んでいます。

よく見ると雄鶏が中に入れられています。食用以外にも、鶏(鳥)を飼うことは裕福の象徴という意味があるみたいです。

子供達です。バックパッカーで明らかに余所者の私を見ても動じる様子はありません。

建物や身なりを見ると、この辺りは比較的富裕層が暮らしている地区でしょうかね。

通りに出ました。

区画整備された住宅地区ですね~。街並みが綺麗です。

さて、第2段階です。この路地を入っていくことにしました。

おほっ、とても香ばしい光景です。

鶏の親子がくつろいでいます。

しかしまあ、動物が多いですね。人間と家畜が生活で密接に共存しています。日本も昔はこんな感じだったのでしょう。

子供達がサッカーで遊んでいます。余所者を見ても決まって笑顔です。南国の性格でしょうか。

次の通りに出ました。

洗車場です。インドネシアでは日本車をよく見ます。現在、インドネシアでは中古車の輸入はできませんので、多くはそれ以前に輸入した超型落ちのモデルばかりです。でも、新型車もチラホラ見ます。インドネシアの新車輸入の関税はおおよそ100%のため、現地生産の流れが進んでいるようです。

こちらではバイクを洗車しています。愛車を念入りに手入れする気持ちはインドネシアでも変わりませんね。

通りを歩いてみました。

懲りずに路地へ入ります。

施設の中庭で子供たちがバトミントンで遊んでいます。突然覗き込んで写真を撮ったので、手前の子供がビックリしてしまいました。ごめんごめん。

インドネシアの子供達はとても人なつっこくて笑顔満点です。可愛い過ぎる。

まだまだ行きます。

衛星放送の受信機ですね。パラボナアンテナがほぼ真上を向いています。赤道近くにいることを感じさせます。

突き当りにきました。

右みて、

左みて、

右にしました。ヒンドゥー系の寺院ですね。日本の神社の狛犬のように入口の両脇に2体の像があります。日本の神道も南方から、あるいは中国経由でやってきたのでしょうか。どういう経路であれインドと関係があるようです。

さっきの通りに出てきました。地図を見ると居住地区はまだまだ広そうですが、徒歩で戻れる範囲までにしておきます。

マタラムモールに戻ってきました。ちょっと休憩です。

モール内の婦人装飾品店です。若い娘やご婦人方が品定め中でした。

午後4時半です。明るいうちは散策を続けますよ~。ここは夜の屋台を組立ている最中ですね。

マタラムモールから「Jl. Pejanggik」通りを東へ500m程歩いたところです。

チドモがいます。ギリ島ではやたら高い乗車料金ですが本来、地元の人たちの足なのでRp.3,000~5,000-と安い乗り物です。料金は交渉制で、観光客が利用するとその3~5倍を求められます。

横道に入りました。ここにもチドモが待機していました。パシャリ!

ここはまた違った空気が漂ってますね。

市場にやってきました。このあたりを眺めたいので2階に上がってみます。

すぐ横にモスクがあります。

うっ、店が閉じています。なんか寂しい? だいたい、市場が午後5時前に活況であるわけがありません。

中央部ではちゃんと営業してますよ~。野菜や果物、豆、乾物、卵、加工食品、スナック菓子、ジュースなど、一通りの品は揃ってます。

市場裏の商店通りを歩いてみます。う~ん、なぜか煙たいのですが。。

モスクからアザーンのマイク放送が聞こえてきました。午後5時です。

子供たちが店番です。

商店通りの逆側に出てきました。こっちが大通りですね。

この水色の屋台はどこに行っても見かけます。屋台で何が食べられるのか?それは屋台に依りけりです。ざっくり言うと、ナシゴレンやサテ(鳥や牛の串焼き)、ブンクス、テンペ、スープ系など、インドネシア庶民が食べる一般料理を屋外で庶民価格で食べられます。値段は注文次第ですが、Rp.5,000~20,000-ぐらいでした。日本人が食べるなら加熱した料理に限定すると無難でしょう。

住宅地に入ってきました。夕刻の生活風景です。

そろそろ少々のことでは驚かなくなりました。

施設の門から子供達がどんどん出てきます。外では若い母親が集まっています。

「Taman Kanak Kanak」とは何ぞや? 後で調べてみたら「幼稚園」のようです。

寺院です。門が開いていたので入ってみました。

おや、ただならぬ人通りに遭遇しました。すごい人数です。

みなさんとても綺麗に正装しています。どこに行くのでしょうか?

こちらは年頃の男子です。まるで学ランのようですね。

少し見物をさせて頂きます。

道路が人でごった返しています。

ここが会場正面のようですね。お披露目会場っぽいです。おまわりさんが交通整理や見張りをしています。

こちらが主役の御二方です。ご結婚おめでとうございます。私がカメラを持っていると知られると、是非とも撮っていきなさい、と言わんばかりに正面に連れられました。よそ様の結婚式に写真を撮影させて頂けるとは、とても光栄なことです。

まだまだ後方から親類親族知人の方々がやってきます。私はこのへんで御暇とさせて頂きます、末永くお幸せに~。

午後6時を過ぎました。歩き方を見ると、すぐ近くに「マユラ水の宮殿」と呼ばれる観光スポットがあるそうですね。行ってみることにしました。

入場料(寄進料)はRp.5,000-とのことです。敷地横の通用門から入ったので支払う機会はありませんでした。ここ、マユラ寺院は1744年、かつてのバリ8王国のひとつ「カランガスム王朝」のチャクラヌガラ王がロンボク島で政権を握っていた時期に造られたそうです。当初は「Taman Kelepug」と呼ばれていたそうな。(「Taman」は庭園/公園の意、「Kelepug」は流れゆく水がプールに落ちる時の音のこと) 寺院が刷新された1866年に「タマン・マユラ」に改名されたとのこと。

「マユラ」はサンスクリット語で「孔雀」を意味する単語で、インドでは孔雀は神のような扱いです。その昔、寺院でお祈りをしたくても信者を不安にさせるたくさんの蛇がいたので、蛇の退治に有用な孔雀を庭に放して寺院の平穏を保った、とされます。孔雀と蛇の話は日本の仏教でも登場するので、興味のある人は勉強してみるといいでしょう。

敷地は宮殿と庭園の部分で二分しています。なお、写真中央に見える塔のある敷地は「メル寺院」で、ロンボク島ヒンドゥー教の総本山だそうです。

この写真じゃあ分かりにくいかな。真ん中に長方形の形をした孤島があります。かつて、王族が会議場や裁判所として使用していました。近代ではロンボク島を占領しようとして捕えられたオランダ東インド会社のバン・ハムもこの宮殿で処刑されたとか。

マユラ寺院はヒンドゥー教にイスラム教が融合した特徴があるとのことです。ロンボク島で85%を占めるササッ族の多くはイスラム教ですが、ここでのヒンドゥー教はバリの勢力を意味します。調べると過去に両者の間で悶着があったとの記事がいくらでも出てきます。その後はオランダの植民地支配を受け、独立後はインドネシア政府による開拓も進み、文化の融合は進みつつあるとのことです。
(ここまで参照:ウィキ、京都国立博物館、コトバンク、他多数)

このあとはマタラムモールの方へ歩いていく途中の屋台で夕食をとり、その後、タクシーでスンギギに戻りました。日本の道路のように街路灯は多くないので基本、陽が落ちたら真っ暗です。でも、午後9時になってもバイクや車の通行は多いんですよね。

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